昭和の初めの騒音対応
2025年5月17日 和光ビル
明治14年に創業された服部時計店は、関東大震災にも負けない鉄骨鉄筋コンクリート造を用いて、昭和7年に和光ビルとして完成しました。
昭和20年の東京大空襲にも時計台の文字盤が破損する程度の被害を被ったものの、いまだに当時の外観をそのまま保っています。あのゴジラが襲撃するまでは・・・。
関東大震災後に盛んに使われるようになった
鉄骨鉄筋コンクリート造ですが、場所が銀座四丁目のど真ん中であったため、鉄筋、鉄骨のぶつかり合いなどによる金属音が周囲に鳴り響きます。
施工は清水組(現清水建設株式会社)で、騒音対応に首を捻った結果、周囲に事前に挨拶に行ったり、当時は慣習であった現場での食事の賄いをせずに、監督、人夫達に近所のカフェ、食堂で食事をとるように命じます。当時としては、防音壁や防音シートが無い時代ですので、人との融和作戦で騒音問題を解決したものと思われます。この対応記録は服部時計店に残っているそうです。
集合住宅でも近隣の方との付き合いが円滑であれば、多くの騒音対立は解消されるといいます。昭和の初期にその事に気付いたことは大事なことだと思います。
東京建築祭で訪れた和光ビルですが、ちなみにこの塔屋の時計台は明治27年のもので、設計者の渡辺仁が当ビルに移築したものです。
2025年5月17日 和光ビル
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